高年収男と若くて料理がうまい女だけが結婚して子供作っていればぁ?!アイタタシングルってもしかしてパワーワードだったのかしら?!

2019年07月27日

自分より大切な存在を生涯持たなかったことをたま〜に思い出しながら暮らしていく

最近自分の金遣いが荒くて怖くなる時があります。

私は父方の祖父が職人で、父方の祖父母は宵越しの金は持たないってタイプ。

母方の祖父が百姓で、母方の祖父母は働きづめでたまには遊びたいなんて考えたこともなさそうなタイプ。

私は見事に両方受け継いでいて、よく働く時期とよく遊ぶ時期が交互にやってくる。

今はああ、父方の血が騒いでいる…と思って暮らしている。

先日習い事でイベントの話があり、参加費用がとんでもなかったが、参加することにした。

参加費は1万円、2万円、3万円という単位で、私は1万円かせいぜい2万円を考えているけれど、お姉様方が3万円の方が多いので驚いていたら、先生が「今迄自分の為にお金を使ってこなかったから、自分へのご褒美と言ってそれだけ払う人が多い」と仰って、なんだかしみじみとした。

若い頃、主婦の友達は大抵「自分が買いたいものは全部我慢している」と言っていたものである。

十年くらい前、パート先の主婦が給料日頃に高校生の娘にバーバリのマフラーを買ったと言うので驚いたことがある。

私立にでも行っていたのか、お友達がみんなバーバリなので違うマフラーという訳にはいかないのだという。
(そういえばその頃の女子高生はチェックのマフラーをしていることが多いなぁと思った)

私は自分へのご褒美というやつをしない。

そういう発想がない。

何年か前アメブロで、結婚式とか披露宴とかどうでもよくて、身内でこじんまりとやればいいと思っている、理由は自分がいつも誰かに愛されていると感じる日々で、毎日がイベントみたいな生活をしているだからだと思う、みたいなことを書いている人を見たことがある。

それを読んで思い出したのは、若い頃読んだ田辺聖子さんのエッセイに出てきた、「ワー、皆コッチ見テハル欲」みたいな言葉である。

大抵の人は誰かの注目を浴びる様な生活はしていないので、結婚披露宴で初めて「わぁ、みんなこっち見てる♥」という気持ちを味わう、結婚後ももう二度と誰かの注目を浴びる様なことはないので、結婚披露宴はこれにて終了の打ち上げ花火みたいなものだろう、というのである。

あのお姉様は大抵奥様方で、結婚以来何十年も、特に注目されることも大きく評価されることもなく、自分よりは夫や子供や親を優先する生活をしてきたのだろう。

娘の七五三や成人式の晴れ着はお金をかけて支度したが、自分はきれいなドレスなんか結婚以来買っても着てもいない。

何十年もお金は家族の為に使ってきたのだから、今はちょっとお洒落して人前に出て注目を浴びることに、3万円くらい払うことがそんな自分へのご褒美、ということなのだろう。

私はというと、自分以外の為にお金を使ったことがほとんどない。

家族や友達や親戚の誕生日や結婚式のお祝い、アジアの子供の為の奨学金団体に20年くらい寄付してきた、ペットや野良ちゃんの餌代、それくらいかな、思いつくことは。

だから特別に自分へのご褒美なんてする必要はなかった。

いつだって、自分を一番大切に暮らしてきたのだから。

そう自覚する時私の心によぎるのは、いつだって自分を優先できた幸運への喜びや感謝というよりは、自分より大切な存在を生涯持たなかったことへのかすかな心残りであった。

これは私の心の中で繰り返されてきたことなので、一瞬のないものねだりなのだということはわかっている。

私は見ないけれどインスタでは、「毎日が奇跡」みたいな発信をしている奥さん、ママさんが沢山いるらしい。

だが、毎日が奇跡なんてことは絶対にないと思うよ。

家事も育児も、たまに深い喜びや楽しさは巡ってくるが、大半は決して途切れることのない単調で退屈な仕事の繰り返しじゃないかと推測する。

そうではないよ、毎日楽しくて嬉しくて仕方がないよという人はある意味、一種の発達障害というか、幸運にも何かが欠落している人じゃないかと思う。

人は幸せと不幸せの間、白と黒の間を絶えず行き来しているもので、常に完璧に幸せだったり、不幸だったりする訳ではない。

その幸せな瞬間だけ切り取って寄せ集めたのが、「毎日が奇跡」というインスタだったりブログだったりするんじゃないかと思っている。

私が自分より大切な存在を生涯持たなかったことを自覚した時の些細な心の動きも、ほとんど一瞬で消えてしまうもので、1時間後にはひとりのうちに帰り着き、不満だらけの狭いワンルームのアパートでシャワーを浴びて汗を流して、すっきり気持ちよくなっている。

「毎日が奇跡」の暮らしをすることよりも、単調で退屈な仕事の繰り返しの中に、よりよい未来への道筋を見つけていった結果、気がついたらこんなに遠く迄歩いてきていた、それが暮らすということである。 

heavenlybodies2020 at 05:00│Comments(4)2019年 

この記事へのコメント

4. Posted by ☆HeavenlyBodies☆   2019年07月27日 18:01
>>3
先日の記事にも書きましたが、自分に正直に生きなかったことを、人は死ぬ時後悔するそうですしね。
人のアドバイスを聞くのは大事でしょうけど、最後は自分で決断するのがいいんでしょうね。
3. Posted by yosiko   2019年07月27日 17:03
自分流に生きるって良いでは無いですか

人に惑わされないのが一番自分を大事に生きていると思います
2. Posted by ☆HeavenlyBodies☆   2019年07月27日 06:54
>>1
この募金はやめています。
私が失業したのと、あの国も豊かになりましたし、まぁ一番のきっかけはある新聞記事です。
貧しい農村地域だったんですが、欧州人と結婚して豪邸を建てた女性がいて、首都に出てアジア女性と結婚したい欧米男性を斡旋する団体に登録する女性が増えたというんですね。
高等教育を受けてよい職業を得るより金持ち外国人男性と結婚する方が手っ取り早いってなったら、奨学金を支援する必要はないです。
1. Posted by 6   2019年07月27日 06:22
募金活動はとても大事ですね。

これからも続けたら良いと思いますよ。

感謝や、祈りを日常に組み入れると、確実に幸福感は挙がります。

宗教的な意味は有りませんが。

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